Hooplaの答え合わせ

先日、というか結構前に渋谷の夢8museumとBULLET TRAIN DINERに行ってきました。
Dinerで流れる映像でいろいろ思い出したので、感想をまとめるのに時間がかかってしまったけど文章に残しておきます。


Hooplaは私にとって初めて生で超特急を見たライブでした。
夢見心地のまま気づいたら終わっていたのだけど、私の人生にこんなにも楽しい日が確かにあったという事実がこれからの人生の支えになると思いました。
最初から最後までハッピーしかありませんでした。


一方でDinerの映像ではメンバーが、有観客ライブに対して不安があったとか、8号車の中にももやもやを抱えてる人もいたんじゃないかとか、決して明るいだけじゃない言葉も口にしていました。
それを聞いて何だか答え合わせが出来たような気がしました。


Hooplaがすごく楽しかったのは間違いないけど、同時に「超特急さんと8号車さんの久しぶりの再会にお邪魔させてもらった」という感覚がありました。
それぞれが不安や悩みをグッと奥にしまい込んでライブに来て、みんなで発散…それこそHooplaして、その先に分かり合える感情があったんだと思います。
私はその中にいたというより、そんな素敵な関係性を間近で目撃したという方が正確な表現のような気がしています。


というのも私にとってコロナ禍は嫌なことばかりではなかったからです。元からインドアだからステイホームもノンストレスだったし。
もちろんコロナは憎いです。本当に。心の底から。特にタクヤさんの体内にいたやつ💢
だけどもしコロナ禍で世の中が変わっていなかったら、私は8号車になっていなかったとも思います。


去年の神戸コレクションがオンライン開催じゃなかったらやで'sキッチンはやってなかっただろうし、やで'sキッチンが無かったら超特急の可愛さに気づけなかっただろうし。チェリまほでタクヤさんの事が気になっても草川拓弥止まりで、きっと超特急にハマることはなかったでしょう。
Superstarが配信ライブじゃなかったら勇気が出なくてチケット取ってなかっただろうし、Hooplaが声出し禁止じゃなかったらコール自信ないし……って行かなかったかもしれない。


もちろんコロナ関係なしにこういうアプローチがされてタイミングが合えば超特急にハマっただろうからコロナが無いに越したことはないのだけど。
でも私にとってHooplaは、いろんな困難を乗り越えた先に辿り着いた場所ではなくて、面白そうな波に身を委ねたら流れ着いていた場所でした。
少なくとも長く応援してきた先輩8号車さんとはライブに臨む覚悟が違いました。


「やっと会えたね」って再会を喜んでくれているけれど、こっちはまだ「うわー!存在してるー!」の段階なのですが💦っていう話です。
でも蚊帳の外みたいな疎外感は1ミリもなくて、むしろ超特急と8号車の絆に魅了されたし、私も8号車の一員としてこの絆を繋いでいきたいと強く思いました。

Hooplaは確かに私も乗車したライブだけれど、タクヤさんをはじめとするみなさんと私とでは、Hooplaというライブの持つ意味が違ったんだなと、なんだか半年越しに腑に落ちました。
あの頃の私には超特急さんの熱量を受け止めるための器が全然足りていなくて、でもちゃんと受け止めて同じだけの熱量を送り返している8号車さん達を目の当たりにして、私もいずれあんな風になりたいと思いました。DDDでは少しは愛をぶつけ返せた気がします。


とまあいろいろ書きましたが、Dinerの映像で一番目に焼き付いてるのはライブ終わりのインタビューで8号車の存在について語ったあとに、たぶんステージ上から見えるペンライトの景色を思い出したのか、タクヤさんがふと見せた微笑みです。
本当に思わずこぼれ落ちちゃったというようにふっと微笑んだもんだから愛おしくてしかたがなくて、あぁこれから先ずっとステージを照らす無数のペンライトの光の一つであり続けたいなと思いました。